本帰国に伴いスクールを転園した時のお話。
パリからおこなった保活のお話はこちら。
1ヶ月のブランク
息子はパリでは1歳になるまでは私とべったり過ごしていたけど、1歳からはギャルドリー(託児所)、1歳後半からはギャルドリー週1+モンテッソーリ幼稚園週4の週5で通っていました。
本帰国にあたり日本に戻ってすぐに新しいモンテッソーリスクールに通うこともできたけど、「この先息子とべったり過ごせることはないはず。今私は働いていないし一緒に過ごせるチャンス!!」と思い、日本のスクール入園は本帰国から1ヶ月後にしました=1ヶ月は母子だけで毎日フリータイム。夫には「本帰国してすぐ入園すればいいのに」と言われたけれど。
大変だった1ヶ月
「大好きな息子とべったり〜♡色々お出かけしよう♡」と希望に胸を膨らませていたのですが、、、子育てってそんなに甘く無い。
当時息子はとにかく「ママ!ママ!!ママ!!!」「ママ見てて!」「ママ一緒にやろう!」1秒たりとも自由時間がもらえない。最初は仮住まいだったのでお道具類も色々揃えられなかったし。結果的に精神的にも肉体的にも(私の体力のなさよ、、)ものすごく辛い1ヶ月でした^^;
夫に伝えると「だから間を開けずに入園すればよかったのに」と言われました、、
ただ息子はとにかくよく寝る子なのでお昼寝をしてくれていたのが救いだったかな。お昼寝時間だけは私の自由時間が持てたので。
*ちなみにこの1ヶ月でフランス語はもちろん、英語もどんどん話さなくなりました、、親ががんばれば保持できたんでしょうけど、、これは痛手。
日本のモンテッソーリスクール初日
日本の園。慣らし保育から始めるのかな?と思っていたら、息子がモンテッソーリ園に通っていたこともあり先生から「彼ならいきなりフルスタートでも大丈夫です。そうしましょう。」と。
初日は私たち夫婦と息子の3人で通常の登園時間より早く行き先生とご挨拶、親は少し先生とお話をして、息子は親がいる状況で少しスクールで過ごしてから親子分離となりました。
久しぶりの教具、さらにはパリにはなかった日本(アジア)らしいお仕事道具に息子の目はキラキラ!親の存在を忘れて、夢中で、そして自らお仕事を始めました。
だけど親はこの後帰り自分だけが残るとわかった途端号泣。この世の終わりかというほどの号泣。そりゃそうだよね、、
胸がしめつけられながらも退出し帰宅しました。お昼の後に先生から息子の様子がLINEで届き、「お弁当を食べて公園で遊びました」と聞きました。公園での写真が添付されてきたのですが泣きはらして目がぷっくりした息子の顔、、涙が出ました。
幼稚園、大好き!
そんな感じで終えた初日。だけど教室・先生・お友達こそ違うもののお仕事環境はパリと一緒だし、先生方がとにかく穏やかで優しくて、さらに子どもたちも息子への「Welcome!」感がすごくて。とくに同じ年のA君が息子によく話しかけてくれてあっという間に仲良くなりました。人懐っこくてすごく素敵な子です。息子は家でA君のお話をよくしてくれて、結局泣いたのは初日だけ。2日目から嫌がることなく通うようになりました!
そして初日に帰宅してすぐ英語を話し始めた!子どもの適応能力&吸収力ってすごい!(息子の園は完全英語のスクールです)
転園する場合、申し送りができたのか?
日本の園の先生からは「お仕事がどこまで進んでいるか知りたい」とのことで、パリでの様子を見ていただいたりしました。だけどパリのお仕事風景写真も息子のお仕事全部を写したわけではないでしょうし、モンテッソーリスクール間の転園がわかっていたのだから事前にパリの先生に依頼してどこまでお仕事が進んだかの「申し送り」のようなものができるか相談すれば良かったなと思いました。両者とも英語話者ですし。パリの先生とは仲が良かったのでもしかしたら後からでも聞けば教えてくれたかもしれませんが。
こんな状況だったので結局は日本の園の先生が息子のお仕事の様子を見ながらどこまでできるか、これから何をするかを見極めて対応してくださいました。
長くなったので続きます。
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